野茂英雄の現在は?収入源や仕事について調査!妻や子供はいる?メジャーでの成績も!

野茂英雄の現在は?収入源や仕事について調査!妻や子供はいる?メジャーでの成績も!

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日本人記録となるメジャー通算123勝を挙げ、アジア人初の偉業も数々成し遂げた野茂英雄さん。引退からは時も経ちましたが、現在はどういった活動をされているのでしょうか。

今回は野茂英雄さんの現在について調査しました!

野茂英雄はNOMOベースボールクラブを設立

王貞治 現在のように、かつてのレジェンドプレイヤーが現在どのような活動をしているのか気になるという人は多いですよね。

野茂英雄さんは現在NOMOベースボールクラブの代表理事を務めています。やはり王さん同様野球にかかわっているのですね。NOMOベースボールクラブとは2003年に野茂英雄さんが設立した社会人野球チームで、活動資金の大半も野茂英雄さんが出資しています。

設立当時は野茂英雄さん自身が現役メジャーリーガーだったのですが、現役を退いて以降はNPBの常任コーチなどに就くこともなかったのでNOMOベースボールクラブに自ら関わる機会も多くなったのではないでしょうか。

NOMOベースボールクラブとは

NOMOベースボールクラブ設立の背景には、社会人野球チームの休部や廃部が相次いだという時代の流れが影響しています。野茂英雄さんがかつて所属した新日本製鐵堺も1994年に休部(2008年に廃部)しており、社会人球界の縮小を憂慮した野茂英雄さんが設立に動いたのですね。野茂英雄さんと共に代表理事を務める清水信英さんはかつて新日本製鐵堺で監督を務めていた方で、NOMOベースボールクラブの監督も務めています。

社会人野球クラブチーム初の認定NPO法人化

NOMOベースボールクラブは2015年5月に認定NPO法人として認証されました。これは社会人野球で活動するクラブチームでは全国初の事例となっています。チームの実績については、2005年にクラブ野球選手権に初出場で優勝を達成。都市対抗野球、日本選手権にも出場し、社会人野球史上初の3大大会全てへの出場も達成しています。NOMOベースボールクラブ出身のプロ野球選手も複数誕生していますよ。

コーヒーのオリジナルブレンドを販売

野茂英雄さんはオリジナルブレンドのコーヒーの販売も行っています。なんでも現役時代からコーヒーが好きだったという野茂英雄さん。「ポートランドコーヒーロースターズ」のコーヒーを特に好み、日本でも多くの人にこのコーヒーを楽しんでもらいたいという思いから、オリジナルブレンドを作ってもらってアメリカからコーヒー豆を輸入、販売しているんですって。

店舗を持ってコーヒーの販売をしていたこともありましたが、そちらは2022年9月に営業終了。ただ、現在もコーヒー豆の販売は行っているようですよ。

野球の試合解説を行うことも

頻度は決して多くありませんが、NPBの野球の解説を行うこともあります。最近では2024年6月のオリックス対阪神の試合で、関西テレビで解説を行っていました。古田敦也さんとのダブル解説という豪華な布陣だったこともあり話題になりましたよ。

プロ野球OBとして仕事を行うことはあり、現在の収入源はそういった活動が主になっているものと思われます。そこまで盛んに活動しているようには思えないのですが、元一流メジャーリーガーだけあってそこまで収入を必要としない立場ではあると思いますよ。

野茂英雄の家族は?

野茂英雄さんは1991年に結婚しています。相手は社会人野球時代に一目惚れした方で名前は森本喜久子さんとされています。なんでも奥様は当時社会人チームのチアガールをされていたそう。相手チームのチアガールに一目惚れしてアタックという珍しい経緯で交際に至ったのですね。

その後二人の間には息子さんが二人生まれました。長男の野茂貴裕さんはアメリカ育ちということもあり英語が得意。2015年から2018年まで北海道日本ハムファイターズの球団通訳を務めましたよ。

出典:SPOTVNOW

野茂英雄のメジャーでの成績は?

高校から社会人野球へ進み、史上最多8球団競合の末近鉄バファローズに入団した野茂英雄さんは、5シーズンで4度の最多勝利、最多奪三振など圧倒的な成績を残し、1995年シーズンよりメジャーリーグへ挑戦。当時はまだメジャーへの移籍の事例は少なく、メジャー挑戦のパイオニア的存在として扱われています。

ここからは野茂英雄さんのメジャーでの成績を紹介しますよ。

アジア人初の新人王

ロサンゼルスドジャースでメジャーデビューを果たした野茂英雄さん。デビューイヤーの1995年に先発として28試合に登板、13勝6敗と大きく勝ち越し、防御率は2.54。4完投3完封を記録し236奪三振はリーグトップの数字でした。この成績をもって新人王を獲得したのですが、これはアジア人史上初の偉業でしたよ。同年にはオールスターゲームにも出場しています。

1996年にはこれまたアジア人史上初となるノーヒットノーランを達成しましたが、勝ち星は増えるも負け星も増え、防御率も悪化。1997年、1998年も数字は悪くなっていき、シーズン途中にニューヨークメッツに移籍しました。なお、同年、ドジャース時代に日本人メジャーリーガー初の本塁打を記録しています。

様々な球団でプレー

1999年はシカゴカブス傘下でプレーした後、ミルウォーキー・ブルワーズと契約して4月末からのプレーながらチーム最多の12勝を記録。2000年はデトロイトタイガースと契約し開幕投手を務めるも、8月に右手中指の炎症で自身初の故障者リスト入り。2001年はボストンレッドソックスでプレーし、自身二度目のノーヒットノーラン、史上4人目となる両リーグでの達成となりました。220の奪三振はリーグトップの数字でしたよ。

この3年はいずれも防御率は4点代中盤でしたが1999年と2001年はシーズンで貯金を作っています。毎年30試合前後に先発しているのも評価されるべきポイントですね。

ロサンゼルスドジャースに復帰

2002年より古巣、ドジャースに復帰した野茂英雄さん。2002年は34試合に先発とフル稼働し16勝6敗防御率3.39の成績を残しました。前年の成績をもって2003年は開幕投手に抜擢、33試合先発で16勝13敗を記録、防御率3.09はメジャーリーグではデビューイヤーに次ぐ好成績でした。2004年も開幕投手を務めるも、同年は防御率8.25と成績を大きく落とし、シーズンでも18先発しか叶わず4勝11敗に終わりました。

現役晩年は?

2005年はタンパベイデビルレイズとマイナー契約を結び、メジャー昇格も果たして19試合に先発、NPB・MLB通算200勝も達成したシーズンとなりましたが、防御率7.24と振るわず7月に解雇され、その後ニューヨークヤンキースとマイナー契約を結ぶもここでは昇格は果たせませんでした。

そこから2006年と2007年は故障とも戦いながら、ホワイトソックスとのマイナー契約、ベネズエラウィンターリーグへの参加など苦闘し、2008年にはカンザスシティロイヤルズとマイナー契約、久々のメジャー昇格も果たしましたが、3試合の登板に終わり、同年に現役を引退することとなりました。

 

出典:名球会チャンネル

メジャー通算318先発123勝

どうしても防御率4点台のシーズンが多くなると見栄えも悪くなってしまいますが、例えそうであってもシーズン30試合前後の先発登板を任されるというのは立派にチームに貢献した証です。ルーキーイヤーの華々しい活躍で社会現象を巻き起こした野茂英雄さんですが、以降もメジャーリーグのスターターとして結果を残し続けていたのですね。

最後に

今回は野茂英雄さんの現在について紹介しました。NPBからMLBへの扉を開けた事実上の先駆者とも呼ばれる野茂英雄さん、彼が日本野球に与えた影響はとても大きいものがあるのでしょうね。野茂英雄さんのこれからの活躍にも要注目です。

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