2019年5月1日、元号が変わり、皇太后妃だった雅子様が皇后として正式に即位されました。雅子様の父親が外交官であることは有名ですが、家系図が凄すぎるのをご存知でしょうか。天皇陛下との馴れ初めなども気になります。
そこで今回は、スゴすぎる雅子様の家系図や、アメリカ育ちという噂、天皇陛下との馴れ初めについてご紹介します。
目次
まずは皇后雅子様のプロフィールから!
- 旧名:小和田雅子(おわだ まさこ)
- 生年月日:1963年12月9日
- 出身地:東京都
- 出身校:ハーバード大学
父親が外交官であったこともあり、幼少期は海外で過ごすことが多かった雅子様。田園調布雙葉小学校、中学校、高等学校、マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールを経て、ハーバード大学経済学部を卒業。その後、東京大学法学部第3類の3学年に外部学士入学するも、外務省に入省するため1987年に東京大学を中退しています。
外交官として活躍していた雅子様ですが、皇太子徳仁親王のお妃候補に名前が挙がり、徳仁親王と交流を深めていきます。一度は断ったものの、最終的には徳仁親王のプロポーズを受け入れ、1993年6月9日に現・天皇の徳仁親王と結婚。2001年12月に第一子・愛子内親王が誕生しました。
https://twitter.com/epitan25/status/1132998011905167360
アメリカ育ちって本当?
雅子様は、父親である恆さんの仕事の都合で4歳の時にアメリカへ引っ越しました。ニューヨーク市ブロンクスのハドソン川をのぞむ丘に立つ、レンガ色の10階建てのマンションに一家で住んでいました。母親である優美子さんは、常に娘に日本を忘れないようにと、ニューヨークでも日本人学校の補習に通わせたり、絵本の読み聞かせをしたりしていたそうです。
モスクワにも住んでいたことあり
雅子様は、生まれた時は一家で世田谷区桜上水の外務省官舎に住んでいましたが、父親である恆さんの仕事の都合で、一家でソ連に渡り、1歳数ヶ月からソビエト連邦・モスクワで過ごしていた期間もあります。2歳の終わり頃からはモスクワ市の保育園に通園し、当初は慣れない言語や集団生活で泣き出すこともあったそうです。
しかしロシア語もすぐに上達し、妹たちにロシア語で話し掛けたり、寝言もロシア語で言ったりするほどだったそうです。そのため、現在も雅子様はロシア語が堪能です。
https://twitter.com/llgeb3/status/1487941246320807936
小和田家では、子どもは親の背を見て成長することが大切だからという理由で、父親が例え海外に転勤したとしても、必ず家族全員で生活するという方針でした。1971年3月には、父親が外務大臣秘書官事務取扱に就任したため、一家は日本に帰国することになります。
何ヵ国語が話せる?
雅子様は幼少期に海外で過ごしていた期間があることと、これまで高いレベルでの教育を受けてきたことから、英語・ロシア語・フランス語・ドイツ語・スペイン語の6ヵ国語を話すことができます。フランス語については学習院大学で学ばれて、2018年のフランス公式訪問ではベルサイユ宮殿での晩餐会で、見事なフランス語でのスピーチをされていました。
また、スペイン語についても長く学ばれているのですが、娘の愛子様には英語より先にスペイン語を学ばせたいということで、愛子様が6歳の頃にスペイン語の教師をつけました。
さまざまな場面で雅子さまの外交力は発揮されてきた。英語やロシア語はもちろん、スペイン語、フランス後、ドイツ語を自在に操られるという。1994~1995年、アラブ7か国を訪問された際には、女性だけの晩餐会に出席された。 pic.twitter.com/0s3VEVn49g
— peach (@peach2881362821) April 1, 2025
スゴすぎる雅子様 家系図!
皇室に入るまでは一般人として外交官の職に就いていた雅子様ですが、家系図がすごいので、ご紹介します。
祖父「小和田毅夫(おわだ たけお)」
雅子様の父方の祖父である毅夫さんは高校教員で、新潟県立高校長や高田市教育委員長を歴任しました。妻・静さんとの間には8人の子供が誕生し、息子の顯さんは専修大学教授、隆さんはトヨタ自動車顧問弁護士や資生堂学園監事、統さんは海上保安庁次長や瑞宝中綬章受章、亮さんは国土交通省港湾技術研究所所長や港湾空港技術研究所理事という経歴を持っています。
祖父「江頭豊(えがしら ゆたか)」
雅子様の母方の祖父である豊さんは1908年1月16日生まれ。東京帝国大学法科(現・東京大学)を卒業後は日本興業銀行へ入行。1961年には日本興業銀行常務取締役に就任しました。また、1962年に新日本窒素肥料(現・チッソ株式会社)の専務取締役となり、1964年には取締役社長に就任。その後1973年にチッソ会長を退任し、相談役に就任しています。
父親「小和田恆(おわだ ひさし)」
雅子様の父親である恆さんは1932年9月18日生まれ。東京大学教養学部教養学科在学中に外交官領事官試験に合格し、大学卒業後外務省に入省しました。外務省入省後に英ケンブリッジ大学に留学し、1956年にイギリス法学士を取得。これまでに第22代国際司法裁判所所長、国際司法裁判所判事、国連安全保障理事会議長、国連大使、外務事務次官などを歴任している他、日本国内外の複数の大学で名誉博士の称号を持っています。この他にも下記書ききれないほどの凄い経歴をお持ちです。
- 福田赳夫内閣総理大臣秘書官
- ハーバード大学法学部客員教授
- 世界銀行総裁特別顧問
- 国際法協会日本支部理事
- アメリカ国際法学会名誉会員 他
母親「小和田優美子(おわだ ゆみこ)」
雅子様の母親である優美子さんは1938年1月30日生まれ。田園調布雙葉中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学文学部フランス文学科に進学。大学卒業後はエールフランスに就職し、のちに同社の極東支配人秘書官を務めました。夫である恆さんとはお見合いの末に結婚。優美子さんは現在、日本ユニセフ評議員を務めています
妹「池田礼子(いけだ れいこ)」
雅子様の妹である礼子さんは1966年7月8日生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、スイスのジュネーブ大学国際問題高等研究所大学院(法科大学院)を修了。慶應義塾大学在学中にはジュニア・プロフェッショナル・オフィサー試験(JPO)に合格。
1991年にベトナムの国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)に就職し、1994年には中国・北京のユニセフ北京事務所へ赴任しました。以降は国際公務員として国連事務総長特別代表事務所、国際連合児童基金、国際連合本部などに勤務。2014年には日本ユニセフ協会顧問に就任しています。
妹「渋谷節子(しぶや せつこ)」
雅子様の妹で礼子さんとは双子の節子さんは1966年7月8日生まれ。東京大学文学部英語英米文学科を卒業した後は、本田技研工業に入社。二輪本部北米部に配属されカナダに駐在した後、2年後に本田技研工業を退職。東京大学教養学部教養学科に学士入学し、文化人類学を学びました。卒業後はハーバード大学大学院社会人類学専攻博士課程に入学し、人類学博士号を取得。ジュネーブ現代アジア研究所客員研究員を経て、東京大学非常勤講師、国際基督教大学非常勤講師、早稲田大学非常勤講師を歴任しました。現在は福知山公立大学地域経営学部教授(多文化共生論)を務めています。
天皇陛下との馴れ初め
天皇陛下と雅子様の馴れ初めについて、順を追ってご説明します。
出会い
1986年に行われたスペイン国のエレナ王女の歓迎レセプションに、皇太子浩宮様(今の天皇陛下)が出席しており、そこに当時外交官の卵だった雅子様も出席していました。当時、皇太子浩宮様が26歳、雅子様が23歳でした。パーティーには外務省関係者などを含め120名ほど参加していたのですが、その中でひと際輝く雅子様に皇太子浩宮様は目を奪われたそうです。
そこで初めて言葉を交わしたそうなのですが、皇太子浩宮様は雅子様に対して、非常に控えめでありながら、自分の思っていることははっきりとお話される姿に、とても良い印象を受けたと仰っていました。
https://twitter.com/EmbEspJapon/status/1130609165175611394
お妃候補に
その後お2人は東宮御所や高円宮廷などで何回か会われ、雅子様は1987年に外務省に入省し、1988年には研修生としてオックスフォード大学に留学されました。その間にも、皇太子浩宮様のお妃候補が取りざたされたことが何度もありましたが、どれも実現しませんでした。
浩宮様は雅子様を忘れられず、1992年に、宮内庁幹部の前で「小和田雅子さんではだめでしょうか」とお名前を挙げられました。
雅子さまの名前が候補をはずれ記載がなくなったお妃候補リストに自筆で、小和田雅子さんの名前を書きたされた陛下に涙。
本当にどうしてもどうしても雅子さまが良かったのですね。ロイヤルブルーに花束をより pic.twitter.com/EBI1vnq0gV
— パディントン (@471KhRYzqE55667) June 23, 2025
5年ぶりの再会
1992年5月、仲介役として元外務次官である柳谷謙介さんが、雅子様の父・小和田恒氏さんに、宮内庁が正式に雅子さんをお妃候補として考えていることと、皇太子自身が雅子さんに会いたがっていることをお伝えしました。雅子さまそのことに大変驚かれたそうですが、皇太子のお気持ちを無下にもできず、8月半ばに約5年ぶりの再会が実現しました。
プロポーズ
再会して1ヵ月半たった10月に、ついに浩宮様は雅子様にこれまでの想いを伝え、結婚を申し込みました。そこで雅子様は、「お断りする場合も含めて、きちんとお返事します」と答えます。その後の答えは、「自信がありません」というもので、宮内庁にお断りの返事をしました。それから浩宮様は再度アタックを開始し、12月12日に再度雅子様とお会いになります。そこで、雅子様も結婚を決意し、「謹んでお受けしたい」と答えました。
皇室に入るという覚悟を決めた雅子様は、良い人生だったと振り返られるように努力したいと浩宮様に伝えたそうです。とても素敵な馴れ初めですよね!
テレビ朝日「グッドモーニング」で皇太子様が雅子様にプロポーズされた場所として行徳の宮内庁新浜鴨場が紹介されました。 pic.twitter.com/Ghahbu9bws
— やすらぎ治療室 (@yasuragi_) April 25, 2019
まとめ
今回は、皇后雅子様のご実家・小和田家のスゴすぎる家系図や、天皇陛下との馴れ初めについてご紹介しました。雅子様の家系図は本当に華々しいものでしたね。現在も小和田邸 売却はされておらず、現在もコンクリ御殿は残っているようですよ。
天皇陛下の一目惚れから始まった馴れ初めも、とても素敵なエピソードでした。愛子様も生まれて幸せに過ごされているのではないでしょうか。今後も皇室の情報に注目したいと思います。















